聖ヶ丘緑地の中にあるどかん池。
戦争が終わって残った火薬を処理していくため“どかん”という音が由来のどかん池。
行ったときには水はほとんどありませんでした。
聖ヶ丘緑地には大きな滑り台やブランコ、トイレもあるので
家族で楽しめる場所です。
火工廠に保有されていた大量の火薬は爆破処理され、その際には近隣の連光寺、馬引沢住民は避難し、家や田畑などにも被害が出ました。
この爆破によってできた大きな穴の一つが、今も残る「どかん池」として語り継がれています。
占領軍が1945年9月10日に火工廠に進駐、11月、正式に接収しました。火薬なども引き渡され、その火薬を占領軍は保管されていた第四工場のあたり(今の聖ヶ丘四丁目あたりという証言もあります)でそのまま爆破処理をすることにしました。近くの住民は立ちのき、その周辺でも処理中は避難する必要がありました、
丘の形がすっかり変わってしまうほどの爆発で、石の破片などが飛び散り、馬引沢など多くの家屋に被害が出ました。聖ヶ丘の「どかん池」は、この爆破処理でできた穴が池になったものだといわれています。
(第14回地域ふれあいフォーラムTAMAプレ企画「身近な戦争遺跡“多摩火工廠”を知っていますか?」から)