“未来の乗り物”モノレールが走る後ろの山、ここあたりを“砂取り場”という場所があった。瓦を作るための砂を取る場所だったということか。今では松が谷への近道として使われている。結構な山で近道だけでは無く散歩道もある。
落合旧記によれば「古、かわら焼き居りたると云う布目瓦片今に出る」とあり、奈良時代、武蔵国分寺の造営にあたり、屋根瓦を焼いたところであった。
八王子市の郷土史家清水氏が昭和初期に調査して出土された唐草文と多摩郡の「多」の字が見える瓦を、昨年多摩市に寄贈されて証明がなされている。
場所は多摩センターから愛宕団地や野猿街道に行く幹線道は絵の左田の所となっており、その右が砂取り場と云われているが、造成などで消滅しその所を限定するのは困難である。現在は上之根集会所や神社があり此の辺一体が窯のあった跡とうかがえる。
思うに落合の里が太古の昔より人が住み、国分寺の造営に多くの人が参加していたことが想像される場所であった。(落合名所図絵)