“影取り池”
いかにも何かありげな感じの名前ですが
やはりそこにはいろいろな伝説が残されています。
池の面を見た人が消えてしまうのですが
・大蛇の祟り
・落城した小山田城を抜け出した奥方の浄瑠璃姫が呼び寄せる
・池の精にさらわれる
・かっぱのしわざ
といろいろな説があります。
最終的にはお坊さんが唱え
浄瑠璃姫が池の中から天に昇り平安になったと言うことです。
多摩ニュータウンにはこんな伝説もありました。
影取池伝説
その昔この北側には深い森と影取池がありました。
旅人が水面に影を映すと姿を消してしまうので大蛇のしわざではないかとか、
また南北朝時代に落城した小山田城を抜け出した奥方の浄瑠璃姫が
十三人の侍女と共にここへ来て昔話に花を咲かせたあと入水したことの祟りではないかと噂されました。
江戸時代にお坊さんを呼び供養すると水面に雲がわき立ち、
笑みをたたえた姫と侍女たちは商店し村には平安が戻ったと言われています。(現地案内版)
武蔵名勝には、「小山田境の谷間にありしが、いまは水涸れたる由」とある、現在の大妻学院付近と思われるが、面影は全くない。この池については幾つかの物語が作られている(多摩市の町名)
昔、大びゃく谷戸の奥にあったが嵐で決壊したと言い伝へている。
大昔、池に龍が棲んでおり人が池上の道を通ると美しい乙女になり、
水に溺れたふりをして助けを呼ぶ。人は助けてあげようと池の水を影にうつすと水中に
引き入れ喰べられてしまうので、影取りの池と恐れられていた。
一説には、小山田城が落城の折、敵の難をのがれた城主の奥方が夫の後追い入水した。
その後、池の中から女の人のすすり鳴く声がするので、通る人が不思議に思い
池に影を写すと魔力により水中に引き込まれてしまうので、影取りの池と恐れて
道を通る人がいなくなってしまった。難儀を聞いた旅の高僧が、功徳の経文を唱えると
「俄に黒雲が巻き起こり龍は雲に乗って昇天した」
「急に暗くなり池の中から奥方が白い雲にのって天に昇ってゆき」
池の中に美しく睡蓮が咲き何事も起こらなくなったと言う。
(落合名所図絵)
落合の唐木田に、むかし”影取り池”と呼ばれた小さな池がありました。
今回は、この池にまつわる奇怪な話をしましょう。
池があったところは「荒田」という部落だったそうです。部落は三方を丘で囲まれ、細長い谷戸でした。
谷戸には、小さな田んぼが続きそのそばの堀には、きれいな水がいつも流れていました。
水は、小高い丘の中腹にある、小さな池の底からしみこんでくるらしく、堀だけでなく、村びとにも等しく潤しているのでした。
部落から外に出るには、丘の頂を通っている一本の道しかありません。この道が丘の中腹までいったところで、さきほどの「小さな池」に出くわすのです。
あるとき、ひとりの男がとなりの部落に用事があって、薄暗いうちに家を出ました。
やがて、この池のところまでくると、男はなにげなく池の面を見ました。
すると自分より大きな、長い黒い影が、池の面を々速さで動いているではありませんか。
ゾォーッとしました。しかし、よく見ると自分の影のようでした。
ちょうどそのころ、朝日が東の丘から出はじめてきていたのです。
おひるまでには帰る、といって出かけた夫は、夕刻になっても戻ってきません。
はじめは、先方でごちそうにでもなって遅いのかな、と思っていた妻も、夫が夜になっても帰らずついに翌日になっても、もどらないので、
心配がつのり、村びとにたのみ、となり村まで夫の様子を見に行ってもらいました。
しかし、先方にはまだ着いていないとのことでした。さて、大さわぎになったことはいうまでもありません。
村中総出で付近を捜しましたが、ついに足跡ひとつ見つけ出せませんでした。大男だった夫ゆえ、人さらいにあったわけでもあるまいし・・・。
数日後、心残りながらも葬式をすませてしまいました。
さらに数日後、ある家の娘が親の代わりに、となり村へすませて行くことになりました。
やはり明るいうちにもどってこようとさきの男と同じような時刻に家を出ました。池のところにさしかかると、男の場合と同じように、黒い影が走り・・・・・。
ついに、娘の場合も帰らずの人になってしまったのです。
もちろん先方に着く前に。
部落の人々は
・池の精にさらわれたのだ。
・かっぱのしわざでは。
(歴史のさんぽ道)